旧稲核橋より現稲核橋を望む
こんな感じで見上げます。
稲核ダムのおかげで道が高いところに移動したわけです。
旧稲核橋は、稲核ダムにぶつかるような所でぶっつり終わっています。
かつての道は水没したのでしょう。
歴史は埋もれていくのです。
ダムによらない治水、脱ダム宣言って凄いことだったような気がします。
放水
勢いよく放水されています。
これも旧橋梁からの撮影です。
大迫力です。
稲核ダム
奈川度ダム、水殿ダム、稲核ダム、これらを安曇3ダムと呼び、下に行くほど小規模になる。
したがってこの稲核ダムは最も小振り、これでも・・・・・。
奈川渡ダムより遅れて1965年(昭和40年)より建設が開始され、型式はアーチ式ダム。
一つの河川にアーチ式ダムが3つあるのはここだけのようだ。
柳神社
旧新淵橋のあったところにあった柳神社、本当に小さい。
きっと旧新淵橋の道筋を守っていた守り神なのだろう。
ひっそりと佇んでいた。