“あゝ野麦峠”の独り言 その6

お助け小屋食堂にあった“あゝ野麦峠”の物語の展示品 “政井みねの物語”
DSC03437

朝五時から夜十時まで劣悪な条件下で働いたみねさんの様子が描かれている。
着物はびしょびしょで病気にならないほうが不思議な環境であったようだ。
日本経済を根底から支えた彼女等の努力は語る事のできないくらいのことの様だ。

“あゝ野麦峠”
DSC03438

「みね」病気の知らせに兄「辰次郎」は飛騨から二日で岡谷まで歩いたらしい・・・・・
なんと山道を一日80㎞も歩いた事になる。
病気の「みね」を背負って野麦峠まで5日かかったそうだが、「みね」は飛騨の地を
踏むことなく、「あー飛騨が見える、飛騨が見える」と喜び、力なくそこにくずれた。
明治四十二年十一月二十日午後二時のことであった。

政井みねの写真
DSC03439

明治時代に写真があるのも凄いことなのだろう?
おそらく、「みね」が「百円工女」だったからだろう?
当時の百円は平屋だったら二軒、二階建ての大きな家が立てられる金額だった?
優良工女は年末に百円の給金が出たが、多くの工女は只働きに近かったことも事実、
中には一年働いても見受け金(娘を見受けする際の前金)さえ返せない娘もいた。
それは粗悪な糸をひくと罰金があったからだそうだ。
ひどすぎる・・・・・

評判の美人
DSC03442

「みね」は評判の美人だったようだ。
それも写真に入っている理由かもしれない?
そういえばクラブ員の奥さんに似ているような気がする。

飛騨を一目見たかったみねの死
DSC03444

十四才から岡谷に出て働き、二十歳で非情の死をとげた政井みね。
無念だったことだろう。
兄辰次郎は、60年以上たってもその話をすると声を上げて泣いたと言う。

―新緑偏―
DSC03434

“あゝ野麦峠”も見てみたいのですが、三原順子主演の新緑編も見てみたいです。
どんななんでしょう?
これもきっと悲し物語なのでしょう。


Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/csr/www/cyclemind/wp-includes/class-wp-comment-query.php on line 399

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です