村の男衆
工女たちの行列を村の若い衆は楽しみにしていたそうだ。
なにせ若い娘たちが綺麗な着物を着て大勢通るとなれば、
いつの時代の男衆もワクワクするのは当たり前!
大雪の時には、力自慢の若い衆が先頭で雪を踏みかため、
工女たちの歩く道を作ったそうだ。
しかも歩けなくなった娘をおぶって、駄賃が稼げるのならば。
駄賃をもらっても、別れるときは切なかったそうだ。
村の女衆
毎年、綺麗な着物とお化粧をして飛騨へ帰る娘たちに憧れ、
岡谷の工場に行きたくなるながわの娘もいたそうです。
実際、ながわからも多くの娘が働きに行ったそうです。
急勾配
ここが一番の難所だろう。
今は階段になっているが、当時はあるはずもない。
ましてや雪の冬越えは足元が滑り一苦労であったでしょう?
休憩時間
いつの時代も少女たちの休憩は賑やかだったでしょう。
もちろん命懸けだった明治時代は気を抜けなかったでしょうが、
それでもやっぱり、娘たちは賑やかだったようです。